2018年11月04日

すべてがFになる 森博嗣

文学界に突如現れた理系工学の申し子、森博嗣さんの衝撃のデビュー作です。
どうやら、私はとてつもない作品に出会ってしまったようです。
一体どこから語ればいいものか・・・枚挙したいことが沢山ありすぎて、
高ぶる気持ちが炸裂してあちこち飛び回っているような気分です。

類稀なる頭脳と先進的かつ浮世離れした思想を持つ研究者、
莫大な遺産を継承したうら若き名門の御令嬢、
CPU科学界を牽引する奇跡の天才プログラマ、
隔離された孤島、血濡れの花嫁、不可能であるはずの密室連続殺人、
緻密で大胆なテクノロジー描写、そして衝撃の真実・・・
ミステリィ小説ひいては世界の常識を覆す数々の仕掛けに
幾度となく体の芯をくんっと引き上げられるような感覚に陥りました。
読む者の視線を鋭く照り返すいくつもの高潮はあまりにも眩しく、
膨大に広がる書籍という名の海から、
本書の異質な輪郭をくっきりと浮かび上がらせると同時に、
それを傑作たらしめる所以となっています。

多くの着目点を持つ本書をあえて一言で形容せんとするなら、
真賀田四季の圧倒的な存在感、この一点につきます。

真賀田四季。
工学技術の第一人者と言語学者の間に生まれ、幼くして博士号を取得し、
コンピューターサイエンス界の最たるものの座をほしいままにした
稀代の天才プログラマ。
そして、齢14歳にして両親をその手にかけた殺戮者。
神の寵愛を受けた存在でありながら、生物としての禁忌を犯した女性。
その後、彼女は他人との一切の接触を避け、
現実から隔たれた地下深くにその身を密めているのです。
さながら天賦を妬んだ神に翼を裁たれ、俗世に舞い堕ちた智の眷属の如く。
犀川は作中で以下のように真賀田四季を評しています:

九歳のとき、彼女はプリンストン大学よりマスターを授与され、MITのPh.D.(博士号)を十一歳で取得している。さらにMF社の主任エンジニアとして、十二歳から本格的な活動を行っていた。こんな経歴が神話といわずにいられるだろうか。(中略)当時、日本人として初めて「天才」に相応しい人物としてマスコミにも取り上げられた。「天才少女」とは、彼女を形容するために大切に冷凍保存されていた表現だったのだ。


罪を犯し地下深く幽閉された天才少女。
この文字列の持つインパクトといったらない。
年端のいかない華奢な肢体の裏にちらつく悪魔の影・・・
そんな妖しさが漂ってきます。果たしてその頭脳がそうさせたのか、
それとも異形の囁きに唆されたのか、なんとも好奇心のそそられる設定です。

この面妖な真賀田四季という人物は一体なんなのか?
懐疑を胸に頁を手繰る読者の予想を大きく上回るものがそこにはありました。
本書はなんと、ヒロインと真賀田博士の対話から物語がはじまります。
核心を冒頭からいきなりぶっこんでくるわけです、この贅沢さたるや。
ブルジョワの御令嬢と天才との間に交わされる会話はとかくハイスペックで、
そもそも背景すら知らない読者には何を語ろうとしているのか理解不能で、
ただただ「真賀田四季は、なんかわからんけど、すさまじい」という印象を
たった数ページでものの見事に読み手へ刷り込むことに成功しています。
こういった、全編において冴えわたる専門用語や革新的な思考の数々は、
森さん自身の工学分野における礎により、非常に説得力のあるものとなっています。
というよりも、そういった思想に服を着せて喋らせたのが
本書の成り立ちと言ったほうがいいのかも。

その後はさすがに穏便な導入が続くだろうと思っていると、
そんな馬鹿げたセオリーは即座にふっとびます。
前述しましたが、本作はクライマックスに続くクライマックスで、
とにかく息もつけないほどの劇的な展開の連続なのです。
唯一、平穏を感じさせる序盤のキャンプシーンを読み返してみると、
伏線があちこちに張り巡らされているのが分かります。
本書には、雰囲気づくりのための描写などという
無駄はほぼ存在しないといっていいでしょう。
その構成、文面、独特な語彙、ストイックさは
正に「理系ミステリィ」の名に相応しい。

その後の第一の殺人、本書の目玉となるシーンでは、
解説も裏表紙も一切見てなかった私は、その異質さに度肝を抜かれました。
○○がない動く死体って・・・
ホラーなら最初にそう言ってくださいよ(号泣)
この世にも悍ましい奇異な光景は、ミステリィ史上の伝説として
刻まれてもいいのではないか、というか既にそう。
ドラマ版のスクショで見ると、その奇抜さが一段と際立ちます。
原文では鬼のような形相で目をひんむいてるとあるので、
幾分ソフトにした感じではありますが。
(抜粋しようとも思いましたが、恐ろしいのでやめます・・・)
しかし、最後まで読み終えると死体に纏わる恐ろしさは不思議と和らぎ、
妙に神秘的にすら感じるから不思議です、
このへんはネタバレになってしまうので細かい説明は避けますが。

それにしても、本作が1990年代後半に書かれたものであることに
衝撃を受けますね。確かに作中はフロッピィなどの
今では見ることさえ困難なものも出るには出てきますが、
コンピュータサイエンスや科学技術に関する描写は
20年経過した現代においても、全く古臭くなく、色あせることがありません。
これってかなり凄いことじゃないですか。
あの時代にVRの発展や科学と人間の行く末を考える人間がどれほどいたのか。
そのうちの一人が、こうして小説という形で記していることが奇跡のようです。
果たして、著者の視野が先進的だったのか、
それとも技術の歩みが緩慢なのか・・・以下、抜粋:

他人と実際に握手をすることでさえ、特別になる。人と人とが触れ合うような機会は贅沢品ですエネルギィ的な問題からそうならざるをえない。人類の将来に残されているエネルギィは非常に限られていますからね。人間も電子の世界に入らざるをえません。

人間が生きていることがクリーンではありえない。我々は本来、環境破壊生物なんだからね。年万年も前に、我々は自然を破壊する能力によって選ばれた種族なんだ。ただ速度の問題なんだよ(中略)まやかしこそ、人間性の追求なんだ。

僕ら研究者は、何も生産していない、無責任さだけが取り柄だからね。でも、百年、二百年先のことを考えられるのは、僕らだけなんだよ。

殆どの人間は、自分の生きてきた時代を遡って、過去の歴史的な習慣に縛られるものだ。それを避難するつもりはない。人間ほど歴史を後生大事にする生き物はいない。

「先生、現実って何でしょう?」(中略)「現実とは何か、と考える瞬間にだけ、人間の思考に現れる幻想だ」(中略)「普段はそんなもの存在しない」

子どもたちが夢中になっているゲームがそうじゃないか・・・自分と戦って負けてくれる都合のいい他人が必要なんだ。でも、都合のいい、ということは単純だということで、単純なものほど、簡単にプログラミングできるんだよ。

元来、人間はそれを目指してきた。仕事をしないために、頑張ってきたんじゃないのかな?今更、仕事がなくなるなんて騒いでいるのはおかしいよ。仕事をするのが人間の本質ではない。ぶらぶらしているほうが、ずっと創造的だ。それが文化だと思うよ、僕は。


どうですか、この珠玉の数々。
うーん・・・耳が痛いような、くすぐったいような・・・(笑)
いやもう、知性もへったくれもない人間からすると、凄いとしか。
世界というものは、こういった卓越した思想を持つ
一部の人に引っ張られているんだろうなと。

話は少し戻って、真賀田四季、
彼女の思考回路に大きく焦点を当てた本作は、
基本的にそのコンセプトに沿って展開していきます。
主人公ら探偵チームも、真賀田博士の意図を酌むように走らされています。
数少ない真賀田四季の登場シーンには、口調やしぐさ、表情などに
非常に気を使ってらっしゃるのがわかりますね。
しかしそんな作者の意図から離れ、俗っぽい目線で物語を追っていくと、
本作にはあえて描かれていない闇が存在しているのに気づきます。

それは真賀田博士の幼少時の家庭環境であり、
彼女に近づいた○○であり、
真賀田博士が犯した殺人の真相でもあります。
気持ちオシャレで知的な語り口とは裏腹に、こういった行間の隙間に、
俗悪な意地汚さ、下卑た人間の醜悪さ、薄っぺらいプライドや自己愛が、
暗闇の奥でぐったりと頭をもたげているのです。

深くは語られることのなかった真賀田博士と○○との14年間、
そして殺人犯によって第一の殺人が成されたその過程には、
筆舌に尽くしがたい程の凄惨さと、
愛とも憎ともつかなくとも何かしらの感情があったのではないかと、
そう思えて仕方ないのです。

そして、考えるのを憚れる、物語の真相。
果たして、本当に殺人犯は「仕方なく」真賀田四季を殺したのか?
初めから、そうするつもりだったのではないのか。
それが本書最大の謎、そして恐ろしさであると、私は感じます。

色々と言及されていないところもありますね、
萌絵ちゃんの幼少期の心の変化とか、犀川の二重人格を示唆するシーンとか。
後者は作中でも言われているように、社会に適合するべく形成された人格を
振り払ったあとの単なる自己の現れであるようにも感じますね。
シリーズもののようなので、後々、語られることになるのでしょう。

それにしても、ヒロインである萌絵ちゃんの妙ないけすかなさ・・・
これはあれなのでしょうね、飛行機事故の時に彼女が作り上げた
第二の人格だったりして?
著者がここまで女の趣味が悪い(失礼)とは思えないので、
読者を大きく煽りミスリードさせるための仕掛けなのでしょう、
多分、というかそうであってくれ(涙)

というわけで、「すべてがFになる」、
尋常ではない作品でした、そうとしか言いようがない。
個人的には、あまり知的さをひけらかすような文体は好みではなかったのですが、
そういう好きか嫌いかとか関係なく読まざるを得ない、そう感じさせる作品です。
まだという方は、是非ご一読を。
posted by 紺 at 12:34| Comment(0) | 小説の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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